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[2006/12/11] 田中君を探して〜パパとぼくの冒険〜第5章20 

パパが、ペンションの部屋を出て、フロントへ行こうとすると、大きな声が聞こえ
た。
モニカさんのおばさんである、このペンションのオーナーにちがいない。
しかし、誰かに怒っているような声だった。
何が起きたのかと近づいていくと、電話で話しているのが見えた。
しかし、手を大きく振りあげていて、相手を殴りつけようとするかのようだった。
早口なので、何を言っているのかよくわからなかったが、「あなたは、親の気持が
わからないの!」と言っているようだった。
パパが近くに立っていることに気がつくと、手の動きは少し収まり、
話し方も少しゆっくりになったが、いや、それだからこそ怒りの感情がよけいに目
立つようになった。
そして、ようやく受話器を置くと、恥ずかしいものを見られたように作り笑いをし
て、
「大きな声を出してごめんなさいね」と言った。
パパは、「いいえ、でも、何か迷惑をかけていませんか?」と聞いた。
オーナーは何も言わないつもりだったが、パパが何か聞いていたと思って、
「そんなことないわ。自分の子供も行方不明になったままだのに、どうして日本人
の子供は調べているのだとうるさいの」
パパは、どう答えたらいいのかわからなかったので黙っていた。
「警察にかけあったらどうなのといってやったわ。早く切りたかったけど、しつこ
いのよ」
すると、電話が鳴った。オーナーは、「ほらね」というように、ウインクをして、
すぐに出た。
そして、「あなたによ」と受話器をパパに渡した。
「小林さんかね」という声が聞こえた。かなりの老人のようだった。
「昔、ブラジルに来て苦労しているとき、みんなが助けてくれた。
それで、幸せになることができた。小林さんも、必ず助けてくれるから、
ブラジルを嫌いになることなく、がんばってほしい」という内容だった。
そういう電話が、4,5件かかってきた。それぞれにていねいな応対をしたが、ぼ
くを見たという情報がなかったので、パパは、だんだん元気をなくした。
オーナーは、それに気がついたのか、「小林さん、わたしが電話番をしているか
ら、悠太を探していらっしゃい」と声をかけてきた。
パパは、オーナーに頼んで、またターミナルに行くことにした。
ターミナルは、あいかわらず何事もなかったように、大勢の旅行客が行き来し、バ
スがたえまなく出入りしていた。
建物の中には、あちこちにビラが貼ってあった。

「日本人の子供(9才)を探しています。
4月8日午後4時頃、誰かといるのを見た人はいませんか。
情報はリオツールまで」

リオツールに行くと、モニカさんたちが集まってきてくれた。
まだ情報がないことを申しわけなさそうに詫びたので、パパのほうがなぐさめた。
ペンションに帰って、一人になると、暗い底なしの穴に落ちていくような気がし
た。
これからどうしたらいいのだろう。
悠太のためにも、急がなければという焦りが募るばかりだった。
翌日、グローボというテレビ局に向った。そこで、以前警備員に断られたことがあ
った。
最近、アナウンサーが誘拐されることがあるので、一人一人に警備員がついている
と言われていた。
だから、約束もなしに面会を求めるのは無謀だと思ったが、今できることを、一つ
一つするしかないと考えたのだ。
パパは、警備員に向い、意を決して「お願いしたいことがあります」と言った。
その警備員は、パパのことを覚えていた上に、新聞の記事を読んだこともあったの
だろうか、「ちょっと待て」と言って、どこかに連絡をしてくれた。
しばらくすると、大きな体の男が出てきて、建物に入れてくれた。
パパは、今までのことを説明し、テレビで、目撃者を探してほしいと頼んだ。
男は、事件でないので、ニュースでは扱うことができるが、それ以上のことはむず
かしいかもしれないと答えた。しかし、1日待ってほしいとつけくわえた。
次の日、電話をすると、ニュースの中で特別に時間を作ってくれることになり、夕
方、テレビ局に行った。
カメラの前にすわると、緊張のあまり咳が止まらなくなった。
スタッフたちは心配そうに駆けつけたが、気を落ちつかせ、オーナーに直してもら
ったポルトガル語で、ゆっくり話しはじめた。
自己紹介したあと、まずこのようなチャンスを与えたもらったことにたいして心よ
り感謝しますといった。
自分の油断や不手際で事業を失敗したとき、両手を失ったような気がした。
もう生きていくことができないようにさえ思ったが、自分には、心配してくれてい
る家族がいることに気がついた。
これから、どのように生きていくべきか、どのように家族を守っていくべきか、毎
日考えた。
ある日、夢の中で、小学生のときブラジルに移住をした友だちが夢に出てきた。
友だちは、子供のときのままだった。しかし、「ぼくは、父親を信じて、家族で助
けあって、どんなことも乗りこえてきたよ」と声をかけてくれた。
その後、その夢が気になって、頭から離れなくなった。
そこで、息子を連れて、その友人に会おうと思った。しかも、その友人が、ブラジ
ルに渡ったときのように船で行こうと考えた。
その船で、ブラジルに帰る、ある日系の青年に出会った。
その青年も、飛行機で帰国すればなんでもないのに、ある大きな事情を抱えてい
て、船に乗ったのだった。
しかし、すぐに両親や弟の待っている自宅に帰らなかったので、ぼくは、その青年
を探すことにした。そのとき、大勢の人が探す手伝いをしてくれた。
そのとき知りあった人たちの好意で、マナウスからベレンまで、アマゾン川を船で
下った。
私は、息子に、ブラジルの壮大さを見せることができ、とてもうれしかった。
なぜなら、私は、息子に、「見るべきほどのことを見つ」ということを教えてい
た。
これは、日本の武将の言葉だが、人生において、まず見ること、しかも、その背後
にあるものを見ることから、人生を学ばせようと思ったのだ。
アマゾン川を下る途中、船が故障して、通りすがりの船に助けてもらった。
これもまた、息子だけでなく、私自身にとっても、「見るべき」ことだった。
なぜなら、広大なアマゾン川の船旅は、人生そのもの。
そこで、漂いながらも、決してあきらめずに希望を持つこと。それは、生きること
と同じことだからだ。
ただ、ブラジルには、自分一人で来るべきだったのに、学校を休ませてまでして、
息子を連れてきたのは、一人では心細かっただけ、あるいは用事をさせるためだっ
たかもしれないと思うと心が痛む。
今、ほんとに「見るべき」は、自分自身であると思い、息子を助けるためにできる
だけのことをしていると言いおえた。

翌日の新聞には、「われわれも見られている」という記事が載った。





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