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[2007/07/16] シーラじいさん見聞録 第1章7 

「お前たちは、オーショネッシーという英雄は聞いたことはないがと思っているに
ちがいない」と、シーラじいさんは、わたしたちを見回した。
暗くてはっきり見えなかったが、少しいたずらっぽい目をしているようだった。
そのとき、高島さんと小川さんが用事のために帰り、8人残っていたが、誰も返事
もせずに、シーラじいさんを見つめた。
「あれは、英雄の名前ではない。
第一次世界大戦のときに戦った、あるイギリス兵が、恋人に書いたラブレターが手
に入り、わしらの中で評判になったことがあるらしい。
しかし、わしもよく知らないが、名前だけは人気があり、今も連綿としてつけられ
ている。それでは、わしは行くことにする」
「シーラじいさん、お時間を取らせました」わたしは、あわてて礼を言った。
「オイデス山は、ここから遠いのですか?」誰かが聞いた。
「そうじゃな。この川に沿っていけば、半日で着けるじゃろ」
「川?」
「ここに川があるのですか?」
わたしたちは、顔を見合わせた。
「お前たちは、ミツァミウリ川の中にいるのだぞ」
「えっ」
わたしたちは、足元を見た。
「そこにいるイソギンチャクを見ろ」
まわりを見ると、赤や黄色の花のようなイソギンチャクが、あちこちの岩にはりつ
いて、花びらのような触手を伸ばしていた。
「イソギンチャクは、たくさんの種類があるが、肉食種だ。流れの中で、じっと食
料を待っていて、自分より大きな魚でも丸呑みするんだ」と多田さんが解説した。
「触手には毒があるんだろう?」と、五十嵐さんも話に加わった。
気がつくと、シーラじいさんは、もう暗闇の中に消えていた。
わたしたちは、川の流れを乱さないように、シーラじいさんの後を追った。
シーラじいさんの影はすぐに見えた。
後ろから見ると、左はぐっと下がったままだ。疲れがたまっているようだ。
今日は朝からまだ何も食べていないはずだから、お腹もすいているはずだ。
ときおり休んであたりをじっと見ている。食料となる小魚やイカは、シーラじいさ
んの横をすり抜けることが多かった。
しかし、少しはお腹に入れたようだ。
すぐに、のろのろながらも、マウじいさんを探しながら、川沿いを進みつづけた。
ここまで来ると、シーラじいさんの仲間に会うことはなくなった。それまでは、
時々昔なじみに会うことがあった。
「おや、どうしたんだい。こんな遠くまで」
「引退してから、体がなまってしまってな。それで、運動をしているのさ」
「気をつけてくれよ。お前がいないと、わしらも困る」
「ありがとう。お前も元気で暮らせよ」
ごつごつした岩山の間に、ひときわ聳(そび)えたつ岩山が見えてきた。
あれが、オイデス山なのだろう。
シーラじいさんは、表側をゆっくり調べてから、裏に回った。ここは、シーラじい
さんが言っていたように、上から落ちてきた資料を保管している場所だ。
学者以外には、あまり来ないので、オーショネッシーたちは、ここを探さなかった
ようだ。
しかし、その資料がどこにあるのか、この暗闇の中ではわからなかった。
オイデス山の麓(ふもと)の直径は、4,5キロはありそうなので、
どこかに穴が開いていて、そこに入れられているのかもしれないし、どこかの岩陰
にあるのかもしれない。
しかも、資料は、本やプラスチック製品だけでなく、船や飛行機から落ちた金属製
品もあるという。
シーラじいさんの仲間は、体長2メートル近くあっても、それをどうやって運んだ
のであろう。
しかし、そのことについて、シーラじいさんに聞いたり、近くを探したりしないよ
うにした。
この見聞録の目的は、シーラじいさんの言動を記録することであり、なにより、今
はシーラじいさんを見守らなければならないときだからだ。
シーラじいさんは、どんな形であれ、マウじいさんがいないか、岩陰をていねいに
見てまわった。
そして、表側にもどり、帰るべきか、進むべきか一瞬思案した。
「何を血迷っているのだ。マヨット谷まで行って、マウのやつを探さなければどう
するんだ」
シーラじいさんは、自分の心の中に、友人を見捨てる考えが、一瞬でも浮かんだこ
とが許せなかった。
それで、休むことなく、北の国境になるマヨット谷に向って進みだした。
マヨット谷までは、昨夜泊まったところからオイデス山ぐらいの距離があるだろ
う。
しかも、ミツァミウリ川は、オイデス山から東に向っており、いわば道がなくなっ
ていた。
軍隊を預かっているときでも、マヨット谷までは、そう来たことがなかった。
「まあ、何とかなるだろう。初めてということもないし、『匂い』を忘れるほど耄
碌(もうろく)はしていないはずだ」
しかし、上半身の左側は痺(しび)れてきていた。
「それもいいだろう。そうすりゃ、必ずマウに会えるってわけだ」
シーラじいさんは、少し気弱になっていた。意識が遠のくようなときもあった。
しかし、何回も休みながら、ようやくマヨット谷に着くことができた。
「そうだ。ここだ。もう少し行けば、兵隊が監視している。マウが通れば、兵隊は
気がついたはずだから、国境の外には出ていないだろう」
マウじいさんは、手前で立ち止まった。
「これ以上行って、兵隊と話をするのも億劫だ。これで捜索終了としよう」
わたしたちは、もう少しマヨット谷のほうへ向った。
この「岩の国」の向こうは、真っ暗だった。700メートル上は、インド洋の海面
になるが、下は、暗闇がどこまでも広がっているように思えた。
ここは、もちろん地球の深奥部であるけれど、地球から、夜の宇宙を見渡したよう
だった。この国は、広大無辺の暗闇の中に浮かんでいるのだ。
しかし、人間は、宇宙には、そう易々といけないが、シーラじいさんたちは、行こ
うと思えば、その宇宙に行けるのだ。
しかも、そこには、無数の生きものがいることはわかっている。
しかし、シーラじいさんたちは、ここから出ないことが幸福なのだと教えられてき
た。
確かに、ここを出ていく者はいる。だが、帰ってきた者はほとんどいない。
シーラじいさんは、マウじいさんの影を探した。





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