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[2007/07/30] シーラじいさん見聞録 第1章9 

シーラじいさんは、岩陰をじっと見上げていた。
「この岩がわしたちを守ってくれているのだ。今も、この中では、大勢の仲間が生
きている。
若い者は、恋をして結ばれる。そして、子供ができる。
やがて、愛情をもって育てられた
子供は、それに応えて、固い絆で親や社会につながるようになる。
そうして、わしらは4億年生きてきた。
これからも永遠に続くかどうかはわからないが、『変わろう』という気を起こさな
ければ、どんなことが起きようとも、わしらは生きのこるだろう。
わしは、まもなく死んでしまうが、もう思い残すことはない」
シーラじいさんは、岩より堅い言葉が胸に刻まれるのを感じた。
しばらくして、「それにして、突然あらわれた人間と話をしたことで、ちょっと芝
居がかってしまったわい」と、少し苦笑した。
「最初、人間と聞いたときは、わしも意識してしまった。
成りあがり者とわかっていても、最近は『飛ぶ鳥落とす勢い』だから、人間にすり
よってしまった。
としよりは、泰然自若としているものなのに、このわしはどうしたことじゃ。白い
ひげが泣くというものだ」
「しかし、自分たちが日本人だと名乗ったときは、正直おどろいた。
『日本人は、人間のモルモットだ』という記事を読んだからな。避難民になって、
いよいよこんなところまで来たのかと思った。
確かに、人間と話をして、わしらを客観的に見ることができたのはよかった。
わしらとて、ここにずっといるわけじゃない。
この何億年の間に、何回も大地が別れ、また一つになった。その都度、海も、大き
な変化を受けた。それに伴い、多くの動物が絶滅していった。
そのとき、わしらの祖先は、そこにとどまらずに、『今のまま』で生きることを選
びつづけた。
こうして、浅瀬にいたわしらの祖先は、海の奥に向った。
人間は、わしらは、2ヶ所にしかいないと思っているらしいが、安全を期すために
五つのグループに分かれて進み、それぞれ理想の場所を見つけ、そこに国を作っ
た。
そして、敵から身を守るために、大きな体になった」
そこまで思いにふけっていると、急に我に帰ったように、あたりを見回した。
あらためて、自分が、静まりかえった暗黒の中に一人いるのがわかった。近くで、
青も赤の光を帯びたクラゲが、ふわふわと浮かんでいた。
しかし、じっと見ていると、自分が浮かんでいるように感じて、不安になってき
た。
「長居は無用じゃ。マウのやつは、どこにいようが、どうなっていようが満足して
いることだろう。
願わくば、わしのことも忘れずにいてくれよ。マウ、さらばじゃ」
シーラじいさんは、頭を下に傾けて動きはじめた。
そして、どんな運命でも、最初は見慣れぬ風景のようであるが、最後にはなつかし
く感じられるものだと自分に言いきかせた。
「さあ、早く帰ってマウの奥さんを元気づけよう。わしは、奥さんも知らないこと
をたくさん知っているからな」
そのとき、背後から、何かかが近づいてきたのを感じた。
何げなく振りむくやいなや、それがぶつかってきた。その拍子に体勢を崩し、体を
ぐるぐる回転させながら、暗闇の中を転がった。
あわてて浮きあがろうとしたが、勢いを止めることができなかった。
最初は意識があり、暗黒に吸いこまれるような感覚があったが、いつのまにか意識
は遠のき、物体として闇に飲みこまれていった。
わたしたちは、あわてて追った。シーラじいさんは、2メートル近く体重も50キロ
以上あるので、まっすぐ下に落ちただろう。
わたしたちは、どこか途中に引っかかってくれたらと願った。
あまり深いと、けがの心配だけでなく、水圧が高くなり、シーラじいさんにとって
致命的になるおそれがあるからだ。
わたしたちは、手分けをして探すことにした。みんなライトは持っていたが、あわ
てて岩陰を見逃すことが心配だった。
20分ほどして、多田さんから連絡が入った。シーラじいさんが見つかったらしい。
みんな多田さんがライトを振る場所に急行した。
そこは、トラフといわれる窪地になっており、シーラじいさんは、砂地に横たわっ
ていた。4,500メートルぐらい落ちたようだ。
ここなら、海面から1000メートルぐらいで、水圧は100気圧ぐらいだろう。こ
こなら、まだ水圧が体を押しつぶさないかもしれない。
しかし、身動きがないが心配だった。わたしたちは、見守るしかなかった。
一時間ほどして、シーラじいさんの体がぴくっと動いた。
「大丈夫だ、生きている!」わたしたちは、手を取りあって喜んだ。
シーラじいさんは、意識を取りもどしたのだ。
「わしは死んだのだろう。ひょっとしてマウが迎えにきてくれるかもしれない。
わしはひどくけがをして動けないようだから、それは好都合だ。しばらくここで待
っていよう。
マウは、子供のときは弱虫でよくいじめられたが、なかなか優秀な兵隊になった。
あれは忘れもしない。何者かが侵入してきて、子供たちが襲われたことがあった。
わしらは、必死で、そいつを探したがなかなか見つけることができなかった。
体を裏返して、小さな石のようになり、わしらを欺くのだ。
半年間探しまわって、ようやく見つけた。それは、初めて見るタコだった。
ふつうは警告すれば、すぐに出ていくものだが、そいつはちがった。
わしらが取りかこむと、頭についている発光器で、わしらを威嚇した。
そして、発光器を少しずつ閉じて、自分が遠くにいったように見せかけることもし
た。
そいつを見つけると、わしは隊長として、真っ先に向っていった。
そいつは、わしの体に巻きついてきた。ものすごい筋肉で、わしは千切れそうにな
った。それで、必死でもがくと、わしの鰓を食いちぎった。
もうだめかと思ったとき、マウが後ろからそいつに噛みついた。部下たちも、一気
にそいつに攻撃をしかけた。
長い戦いのあと、そいつは、ようやくわしらの国から去っていった。
そのとき、わしは、動くことができなくなってしまった。
『マウよ、わしはもうだめだ。後は頼むぞ』と言ったが、マウは、『これしきのこ
とで何を言っているんだ』と気弱になったわしを励ましてくれた。
そこに三日間ほどいた。すると、徐々に楽になっていった。
部下がいないときに、わしは、マウに、『お前のおかげじゃ』と礼を言うと、
『お前を助けたい一心だった』と照れくさそうに答えた。
それまで、仲のよい幼なじみであったが、兵隊としては意気地がないところがあっ
た。しかし、それがあってからは、部下からも一目置かれるようになった。
あの時代は、二人とも輝いていた。あいつのために死ねなかったのが残念だ。
でも、もうすぐ会えるのだ」





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