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[2007/08/06] シーラじいさん見聞録 第1章10 

しかし、意識は朦朧となることがあった。大きな体が横になり、ふわふわと浮き上
がろうとした。
そうなって、暗闇の中を漂えば、食べものに飢えた魚がどこからともなく近づくの
だ。
しかし、シーラじいさんは、ときおりぴくっと体を震わせ、また体勢を戻した。
そのとき、「このあたりでは見かけぬ顔じゃな。けがでもなさったか」という声が
響きわたった。
それは、クジラやサメでも怯えるような、野太い男の声だった。しかし威嚇するよ
うではなかった。
わたしたちは、飛び上がるほど驚いて、あたりを見回したが、その声に匹敵するよ
うな影はなかった。
シーラじいさんも、その声を聞いたのか、大きな目を開けた。
「ああ、マウか。わしじゃ。シーラ・デヴォン・ンジャジジャだ。お前を待ってい
たぞ。
お前を探しにきて、このざまだ。魔がさして国を出てしまった。
すると、罰が当たって、何かがぶつかってきた。わしは、そのまま地獄へまっさか
さまだ。
でも、お前と会えるのは何よりだ。また、ゆっくり昔話もできるというものだ」
疲れているのか、息もたえだえになりながらも、大きな声を出した。
「鰭も一つ失っていなさる」また、その声が聞こえた。
「これは、兵隊のときに、凶暴なタコと格闘して噛み切られたものだ。それを、お
前が助けてくれた」
「お前さんも、マウとやらも、勇敢な兵隊だったんだな」その声の持ち主は、シー
ラじいさんのかぼそくなった声を、ちゃんと聞いていたのだ。
「えっ、お前は、マウじゃないのか」シーラじいさんも答えた。
「お前は一体誰なんだ」
「ふぉ、ふぉ、ふぉ。わしは、わしじゃ。わしらには、名前をつける習慣がない」
「どこにいるんだ」
「お前さんの近くだ」
シーラじいさんは、少し見回したが、マリンスノーがゆっくり降っている暗闇が広
がっているだけだった。
そのとき、シーラじいさんの近くの海底が、少し動いたかと思うと、砂煙が高く巻
き上がった。
わたしたちは、竜巻でも吹いたのかと思っていると、その中から、黒々としたエイ
のようなものがあらわれた。体は、縦も横も5メートルはある巨大なものだった。
わたしたちは、思わず岩陰まで逃げて、様子をうかがった。
そのものは、しばらく立ち上がっていたが、またその場にしゃがみこみ、大向けに
なった。
「行儀が悪いけど、わしは、こうしかできなくてな」
そのものは、恥ずかしそうに言った。
「わしは目が悪くて、お前さんがいるのに気がつかなかった」
シーラじいさんも、よほど驚いたらしく、目を大きく開けて、そのものをじっと見
ているばかりだった。
「ここは地獄じゃないぞ。見方によっては、そうかもしれんがな。
ここでは、一生、自分と向き合って生きていかなければならん。それで、若い者
は、みんなどこかへ行った。
ただ、ここは、隔絶されている場所なので、傷ついたり、病んだりしたものが立ち
寄ることがある。
だから、ここにいるだけで、世の中のことはなんでもわかる。
ところで、お前さんは、けがをしていても、わしが見たところ、まだ地獄に行くの
は早そうじゃ」
シーラじいさんは、それに答えず、「わしはまだ生きていたのか」と独り言のよう
に言った。
そのものは、別に気を悪くしたようではなく、「お前さんは、だいぶ頭を打ってな
さる。
お前さんが、ここに落ちてきたとき、もうにおいを嗅いで、近づいてきたものがい
た。
死んだものだけではなく、弱っているものにも襲いかかるものがいるのでな。ここ
は、厳しい世界だからな。
しかし、わしは、『少し待て。様子を見てから知らせてやる』といって追っ払っ
た。
とにかく、元気になってよかった」
シーラじいさんは、それを聞いて、ようやく事情が飲み込めた。
何かがぶつかった後、そのまま、ここへ落ちてきたのだ。そして、しばらく気を失
っているときに、マウが夢に出てきたんだ。
そこで、シーラじいさんは、「命を助けていただきまして、どうお礼を言ったもの
やら」と頭を下げた。
「いやいや、お互い死に際を考える年ですからな。ふぉ、ふぉ、ふぉ」と笑った。
その笑い声は、まわりの岩にこだまするように響いた。
シーラじいさんは、国を出たのが初めてだったし、仲間以外とは、そう話をしたこ
とがなかった。
それなのに、初めて見るものと話し、しかもそれが老いる話であったのが、不思議
な気がした。
しかし、心が通じる気がした。とにかく、このまま終わるわけにはいかない。
そこで、自分について話をすることにした。しかし、こんなことは初めてだったの
で、緊張したが、ゆっくりしゃべった。
最後に、国や仲間を守るべき軍人が、親友を探すためとはいえ、国の外に出たばか
りにこういうことになった。もう死んだほうがましだと締めくくった。
そのものは、仰向けのまま、じっと耳を傾けていた。
シーラじいさんの話を聞き終えから、「お国ではみんな心配しているじゃろ。ここ
で元気になり、帰られたほうがよかろう。
それまでゆっくりしていきなされ。マウとやらも、ここに来るやも知れぬ」
「ほんとに何から何まで」
「わしも、ここにいて、栄枯盛衰を見てきた。傲慢になったものは、すべて消え去
った。それが世の常というものだ。
お前さんは、たいそう疲れてなさるを忘れていた。それについては、また話すこと
もあろう」
「わしは、少し用事を思いだした」そのものは、仰向けのまま、海底に砂嵐を立て
ながら、どこかへ行った。
シーラじいさんは、懸命に話をしたせいか、疲れが出たようだった。
目をつぶって、寝ようとしたが、眠れそうになかった。
「小林君といったね」息を苦しそうにしながら、シーラじいさんが、わたしにたず
ねた。
「はい小林です。なんとか助かりましたね」
「そうだ。『地獄に仏』とは、こういうときに使うんだろう」
「はい、そうです」
「君に聞きたいことがあるんだ。君は、確か深海図鑑を持っていただろう」
「はい、持っています」
「今のは、だれなんだ」
たださんや五十嵐さんが、身を乗りだしたのがわかった。
「わたしたちも、気になって、深海図鑑を見ていたのですが、載ってないのです。
エイに似ていますが、ずっと仰向けになっているので、ちがうような気がするので
す」
「そうか」
「シーラじいさんは知らないんですか」
「わしも、今まで見たことがない。ところで、小林君、わしも、『年貢の納め時』
らしい。
『まぐまぐ』とやらの読者がいなくなる前に、もっとほかの事を書いたらどうだ。
日本から、ここまで来るのに費用もたいへんだろう」
シーラじいさんは、気弱になっていた。
慰める言葉を探している間に、そのものは、シーラじいさんのために、食料を運ん
できた。
礼を言うシーラさんに、「お互いさまじゃ。『情けは、人のためならず』というで
はないか」
と言った後、また砂嵐を立てながら仰向けになった。
空腹を感じなかったが、少しずつ食べた。そのためか、2,3日過ぎると、体に力
がもどってくるのがわかった。
そろそろ国をめざそうかと考えているとき、海底が激しく揺れだした。





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