[2007/09/03] シーラじいさん見聞録 第1章14
シーラじいさんは、水圧が高いのが苦手なので、上に行くにつれてから、体が楽に
なっていくのがわかった。
それにつれて、気持ちも軽くなっていった。
マウじいさんを見つけることができなかったが、自分も、そう思ったように、
もし何かの事情で、どこかの国にたどりつき、そこで生活をしていることもあるか
もしれない。
里心がついたら帰ってくるだろう。誰でも、昔から知っている者に見取られながら
死にたいものだから。
いなくなったことを、すぐさま悪いことに結びつける必要はない。
とにかく、わしらは、自分の意思で、こんなに深くまで来ることはない。
息苦しくなってきて生きていけない。ましてや、わしやマウはポンコツの体なのだ
から。
とりあえず、探しながら帰るとしよう。
ひょっとして、マウは、もう帰っていて、「どこをさがしていたんだ」などとへら
ず口をたたくかもしれない。
幸いトラフという舟状盆地は、崖と崖の間にできているのだから、両方の崖を見失
しなわないように、上へ上へと上がっていけばいいのだ。
そして、どちらかの崖が切れたら、残っているほうの崖に沿って上がっていく。
そうすれば、そこには、大きな岩に囲まれた我がふるさとが見えてくるはずだ。
シーラじいさんは、ゆっくりだが、力強く上がっていった。
ときおり、魚の影がのんびりと動いている。食料を探しにきているのだろうか。
しかし、夜ともなれば、自分の仲間が待っている場所に帰るだろう。
何千キロと移動する者でも、妻や子供がいる場所は決まっていると聞く。
家族や仲間がいれば、どんなことにも耐えられるのだ。根無し草のように放浪する
者は、どんな思いで毎日を送っているのだろう。わしらは恵まれている。
それにしても、意識を失って落ちたり、倒れていたりしたのに、よく助かったもの
だ。
しかも、あれ以上落ちていくと、呼吸ができなくなって死んでしまうところだっ
た。
これほどの幸運があるだろうか。
急いでいたが、途中疲れてくると、岩にある窪みを探して休んだ。中から小さな魚
やカニなどがあわてて飛だしてくることがあった。
そのように、2,3日休みながら上がっていくと、一方の崖がなくなった。そっち
は、また果てしない深海が広がっていることだろう。
シーラじいさんは、残っている崖に沿って上がっていった。
しかし、いくら上がっても、崖は続いているので、心細くなってきた。
しかも、あたりの様子がどうもちがうように思えてきた。どこか明るいのだ。わし
らがいる場所は真っ暗で、それで安心できた。
しかし、ここは、暗闇の中に青い粒子が混じっているように、うすぼんやりした世
界だった。しばらくいない間に世界が変わったのかとさえ思った。
多分、調子に乗りすぎて、上に行きすぎたのだろう。それでは、横へ回ってから下
がれば、ふるさとにもどれるはずだと考えた。
それで、しばらく水平方向に進んで、また下に向った。
しかし、見つけることができなかった。崖は、どこまでも深海深く続いているよう
に思えてきた。
あせればあせるほど体の節々が痛んでくる。ここまで帰ってきたのに、ここで自分
を見失って、命を落とすことはない。よく考えることだ。
シーラじいさんは、自分に言いきかせて、窪みで、しばらく休むことにした。
そして、どうしたものか思いめぐらした。
しばらくすると、子供の頃、「わしらの国は、この近くで一番大きな島の下にあ
る」ということを親から聞いたことを思いだした。
それでは、その島を見つけて、その下を行けばいいのだ。
しかし、上に行くと危険が待っている。わしらの祖先は、危険を避けるために、何
億年も前に、そこを去ったはずだ。
しかし、こんなことを繰りかえすより、さっさと「海の終わり」に行って、誰かに
聞くなりして、大きな島から下に行ったほうが早く帰れるはずだと思った。
しかも、夜なら危険なことは少ないはずだ。
とにかく、徒に体力を使うことは避けなければならない。シーラじいさんは、じっ
と考えこんだ。そして、意を決して上に向った。
海は、最初上がってきたときのように、少し明るくなってきていた。
今までのように、がむしゃらに上がるのではなく、物陰があれば、そこで立ち止ま
って、様子をうかがいながら進んだ。
しばらく行くと、崖もなくなった。そこから海底が広がっているので、それに沿っ
て、水平に進むことにした。
海底に沿っていく限り、隠れる場所はいくらでもあり、夜になったら、また上に上
がればいいからだ。
どうやら海底は、登り坂になっているらしい。あたりは、さらに明るくなってい
き、動いている魚の姿がはっきり見えてきた。
シーラじいさんに気がついた魚は、あわてて逃げていった。この明るさでは、自分
もはっきり見られていることに気がついた。
さらに進み、岩陰を見つけて、そこから様子を見た。
海は、青く透きとおっていて、どこまでも見渡せるほどだった。そして、目まぐる
しく動きまわる魚は、黄色や赤、青など、信じられないほどの色と形を持ってい
た。
これはどうしたことだろう。目立つことに危険はないのか。
さらに、その上では、エイやイカなどが気持ちよさそうに泳いでいた。
海底には、びっしりと黄緑色の林のようなものがあり、そこから色とりどりの魚が
出入りしている。
ああ、あれがサンゴか。魚は、あれを住処にしているのだと聞いている。
すべては、初めて見る光景だった。目を開けていられないほどまぶしかった。
そのとき、上から、サメのような者が下りてくる。しかし、何百といる魚は逃げよ
うとしない。
そのサメのような者は、サンゴのところまで来て、魚を見ているだけだ。
わかった。あれは、小林たちと同じ人間だ。小林たちは、水圧が高いので重装備だ
が、ここにいる人間は身軽そうだ。
それにしても、「海の終わり」に、こんな風景が広がっているとは!
シーラじいさんは、呆然と、その光景に見とれていた。
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