[2008/04/23] シーラじいさん見聞録 第1章36
今まで意識を失っていたとは思えない声だった。
「おっほっほ。坊や、元気だねえ」ウミヘビの老婆は、しゃがれた声で叫んだ。
「オリオン、無事だったか」シーラじいさんも声を張りあげた。
「シーラじいさん、今クジラって言いましたか」
「いや言ってないぞ」
「でも、クジラっていう言葉が聞こえたのです」
「クジラってなんだい?」ウミヘビの老婆は、ぐっと頭をもたげた。
「今、話をしていた『大きなもの』の名前だよ。そうか。おまえは、意識を失って
いたのに、『大きなもの』をクジラとわかったんだな」
シーラじいさんは、ウミヘビの老婆に説明したかと思うと、すぐにオリオンに声を
かけた。
「へえ、あれは、クジラというのか。名前とは便利なもんだなあ」ウミヘビの老婆
は、感心したように言った。
オリオンは、そのとき初めて誰かいることに気がついた。
その姿にぎょっとしたようだったが、「あなたは誰ですか」というように、ウミヘ
ビの老婆をじっと見た。
ウミヘビの老婆は、先が三つに分かれている舌をぺろぺろ出して、「いや、わたし
は通りがかっただけだよ」と慌てて言った。
「オリオン、この方が、おまえを助けてくだすったんだよ」シーラじいさんは、ウ
ミヘビの老婆を紹介した。
「そうでしたか。ありがとうございます」オリオンは、ていねいに頭を下げた。
「わたしは、こんなに聡明な坊やを見たことないよ。助けた甲斐があったというも
んじゃ」
ウミヘビの老婆は、感心したようにつぶやいた。
「よく通りがかってくださった」シーラじいさんは、あらためて礼を言った。
「いや、お告げがあったんじゃ」ウミヘビの老婆は、急に厳かに言った。
「お告げ?」
「そうじゃ。大きな災厄が近づいている。この方向に進むと、難渋している者がい
る。
それを助けるのだ。そうすれば、その者が、災厄から守ってくれるであろうという
声が、どこからか聞こえてきた。
わたしは、さっそくお告げが教えた方向に向った。何日も何日も進んだが、それら
しき者に出会わない。
方向をまちがったかと思い始めたとき、あいつが、誰かに巻きついているのが見え
た。
わたしは、誰が捕まっているのか見たが、小さな坊やだった。
もうすぐ災厄が来るというのに、こんな坊やが私たちを救ってくれるのかと迷って
いる間にも、坊やが苦しくなっていくのがわかった。
それで、急いで、あいつのくちばしに毒を放ったのじゃ」
「うむ、でも、どんな災厄が来るというのだ?」シーラじいさんは、つぶやくよう
に言った。
「それはわからない。でも、昔ばあさんから聞いたことがあるが、お告げがあるの
は、転地がひっくりかえるようなことが起きるときのようじゃ。
そのばあさんも、自分のばあさんから聞いた話では、お告げあった後、わたしらが
住んでいたところがなくなったそうじゃ」
「そんなことが起きるのですか」オリオンは叫んだ。
「どんどん小さくなっていって、ほとんどのものが死んでしまったという話じゃ。
お告げを信じた者が、勇気を持った者を見つけて、その者とともに、生まれ故郷を
捨てた。今生きているものは、信じた者の子孫なのだ」
「今度も、そんなことになるのでしょうか」オリオンは、さらに聞いた。
「わたしらは、勇気を持った者についていくだけだ」
「それじゃ、オリオンが災厄から救ってくれる者というわけか」シーラじいさんは
尋ねた。
「お告げどおりなら、そうじゃ」
「オリオンは、確かに勇気がある。しかし、大きな傷を負っている」シーラじいさ
んは、悲しそうに頭を振った。
「えっ」オリオンは、びっくりしたように叫んだ。
「ぼくは、どうなったの?」
シーラじいさんは、それには答えないで、「オリオン、どうして、あんなやつに捕
まったんだ?」と聞いた。
「ぼくが向っていくと、あいつがいたんです。
急に静かになったので、どうしたんだと声をかけると、ちょっとこっちへ来てくれ
というように合図をしたので、近づくと、一気にぼくに襲いかかってきました。
ぼくは、逃げようとしても、あいつの足が体にどんどん食いこんできて、その後全
くおぼえていません」
「やつは、いつもは、ずっと下のほうにいるのだが、腹が減って上がってきたと見
える。
でも、坊やは、あれだけの苦しみに耐えたのだから、『こんなこと』など何でもな
いだろう。
わたしは、早速みんなに勇気がある者が見つかったことを知らせるとしよう」
そういうが早いか、ウミヘビの老婆は体をくねらせて去っていった。
そのとき、海の中から、無数の泡がわいてきた。そして、何か聞こえてきた。近く
を通りかかっていた魚が、あわてて逃げた。
シーラじいさんとオリオンが耳を澄ませると、朗々とした声が響いた。
悪しき者堕ちて、闇空を覆い
また海割れ、地動くことありき
泣きさけび、行きまどう者多し
神、それを見て、救いの道を教えしがと嘆く
光明を探す者に幸いあるかな
光明を探す者に幸いあるかな
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